健康

江戸時代の育児書「小児養生録」について 初誕編 (一)

前回投稿した胎教編の続きです。
中巻にあたる初誕はボリュームが多く、二部にわたって投稿致します。

妊娠から出産までの養生法については、前回の投稿で書いておりますので、そちらをご覧ください。

<原文と解説>


「さて、小児誕生せば、そのまま啼聲出ざるさきに、絹布の切などを指にまきて、はやく児の口の内にねばり付たる穢物を拭とるべし。又、胎内にて蒸されたるいき[息]をも静によく拭べし。此時隠婆、其外そばに付居/たる人々、第一に母を大事にするゆえに、生まれたる児をば、先とんじゃく[頓着]せず、時の[伸]ぶる間に啼聲出、其こゑに従て、口内にあく物咽へ入、或は背骨の督脈をつたひ、脊の髄にながれ、或は息にしたがひて、咽より胃の腑につたへ入りて、胎毒となる。後痘疹(いもはしか)多く出る者は、皆此胎毒のわざなり。さるほどに初生は胎毒を下す薬を与えて養生すべし。

⇒出産時に、いかに「胎毒」が児の中に入らないようにするか配慮していることが伺い知れる文章です。当時は新生児の発疹は胎毒が身体に入ることで起こると考えられておりました。現代でも新生児が生まれてから通常24時間以内に出す「胎便」が知られておりますが、まれに胎便を排泄できず腸閉塞を起こしてしまうケースが知られています。その場合命の危険にさらされることもありますので、それを予防する意味でも胎毒下しは有用だったと思われます。

<原文と解説>

「いにしへより初生の薬中に朱砂を用る方あり。朱砂は性寒にして、脾胃を傷て、虚弱の児には宜しからず。又、丁子を用る方あり。丁子は性温にして熱薬を服すれば、口舌一身に瘡を発する者なり。能々医者にたづねて、五香を用べし。大かたは甘草、檳榔子、舟底苔、此三つくすりがよし。秘方あれどもみだりに使へがたし。五香の用やうは、みな人の知るごとく、絹の袋に/包み、熱湯にひたし、ふりいだしてあたふべし。産にむかはんとする前月より、五香をば調へ置べし。」

⇒中国の古い処方の中には、「朱砂」を用いたものが多くありました。朱砂は硫化水銀を含む鉱物で、その鮮やかな赤色から「丹」とも呼ばれ高価な漢方の原料となっておりましたが、現在は水銀中毒になる危険性から使われておりません。「丁子」はクローブとも呼ばれ辛温性の生薬です。新生児の寒熱のバランスを乱さないようにすることを、次の臍の緒の項目からも重要視されていることが窺えます。

胎毒下しとして当時用いられていた処方はいくつかあり、本文では甘草、檳榔子、海人草の三種を用いたものを紹介しています。他に、浅田飴で有名な名医、浅田宗伯は大黄・黄連・紅花・甘草からなる甘連湯(かんれんとう)を推奨していたという文献も残っています。

“絹の袋に~”からの文章より、胎毒下しは煎じ薬であることが分かります。胎毒下しは出産予定の前の月からしっかり準備しておくよう、書かれています。 私も、今回の出産にあたり胎毒下しを我が子に与えようと今から準備しています。

<原文と解説>

「臍帯を断事、孫思邈は先結束して於て断ぐ事、長さ六寸計に断ぐ。又は児の足の掌の長にくらべて断ぐも吉し。短ければ、胎氣を傷、また長ければ乾がたくして、肌を傷る。さて臍帯を切には、鐵刀にて切べからず。鐵の寒氣が腹中に入て、生氣を傷る。吾日本にも神代より伝て、竹の箆にて/切る。此理尤もよく侍らん。今世の俗は此をしらず。竹の箆をばこしらへて、用ることをばせず。只、鐵刀ばかりを用て、臍帯を切る。され共、箆を用るは、是吾朝の遺風ならんや。さてその切り口を絲にてよくよくくくるべし。」

⇒孫思邈とは中国唐の時代の名医で、薬の神様(薬王)として現在でも祀られている人物です。漢方と中医学の繋がりを窺わせる文章ですね。唐代というと西暦620年頃なので、その時代にはもう新生児の臍の緒を切る長さまで言及されていたことに驚きます。ここでは臍の緒を切る道具について言及されています。臍の緒は新生児の体内に繋がっているので、寒氣が入らないように注意すべきと言及されていますが、江戸の当時でもすでに鉄刀で切ることが主流だったようです。日本では神武天皇以前の時代では、竹のへらで臍の緒を切っていたという伝承があったと書かれています。

<原文と解説>


「産れて声をいださぬ児をば、これを夢生という。こゑを出さぬ児をば、臍帯をきるべからず。綿衣を以て、児を包み、紙燭をふとくこしらへて、胡麻の油をつけ、臍帯を炙、甦を待て、さて其/後臍帯を切るべし。又、方に臍帯に灸をして、其煖なる氣をうちへ入るるも吉し。又方、児の口を吸、口へ氣を呵し、又方、耳を吸、耳へ氣を呵し、又方、鼻を吸、鼻へ氣を呵し、又方、肛門を吸、肛門へ気を可し、かくのごとく療治をして氣を流通させて、啼聲出て甦る。右は難産によって、児の真氣絶て、なきごゑ出ざるの治法なり。

⇒産声を上げず、夢のまま生まれると書いて「夢生(むせい)」、表現としてなんだか素敵ですが実際には氣が絶えてしまっている危ない状態です。現代では「新生児仮死」といえる病態で、児が呼吸をしていないので脳に酸素がいかない危険な状態です。そういった時に臍の緒を切ってしまうと、胎盤からの酸素運搬が絶えてしまうので児にとって大変危険であり、臍の緒を炙る、もしくはお灸をするのは温めることで血管が拡張し、臍の緒を介した酸素運搬効率を上がり児が蘇生すると思われます。また、気道などを異物がふさいでいる可能性があるので、対応方法にも必ず先に“吸う”動作が入っていることもとても理に適っています。

<原文と解説>


「産湯をあびする事、古来は臍帯を断きるさきに、胞衣ともに洗。されども国の風俗にて、/今は産るるとそのまま臍帯を断ぎて、湯をあびす。さて臍帯の断口をよくよく糸にて結て、つぎ口より湯の入らぬやうにしてあびすべし。
産湯の中へ食塩少ばかり入りて、あびすべし。その後をよくぬぐひ、乾して燕脂を手につけ、遍身と両脇にすりぬれば、風をひかず、胎毒をちらす。そうじて産湯には、新湯を用ゆべからず。尤む[産]め水にも生水を用ゆることなかれ。先せんじわかしておゐて、さましひやして、むめ水には/用ゆべし。生水を用ゆれば、皮膚を傷、瘡疥を生ず。必ず生水を用ゆることをいむ。」

⇒新生児の産湯についての記載です。現代でも、新生児の身体表面を覆う胎脂(たいし)は児を感染症から守ると考えられていり、落とさないことが推奨されています。産湯に食塩を入れると浸透圧が調整でき、児の肌への負荷を軽減できますし、湯上りの児の全身と脇に燕脂をつける行為は現代でもワセリンで肌を保湿し乾燥性湿疹を予防することに通じています。一度沸騰させたお湯を使うことも、上水道が発達していない江戸時代にはとても重要なことだったと思われます。

<原文と解説>

「湯をあびせて後、よくよく水けを拭ひ、第一臍帯の湿をよくぬぐひとるべし。さて、白き練をよくもみやはらげ、四寸四方のふくさにぬひ、その内へ綿を入る。これは臍帯の湿を綿へすゐとらせんがためなり。さて、右の練のふくさにて臍帯をつつみ、別に長さ三寸ばかりに絹のふくさをつくり、右の練のふくさの上を包み、其端を脊/へまはし、復おしかへして腹へ廻し、腹にてつよくもなく、又よはくもなく、よき程にしめてわなにゆふべし。つよくしめれば、小児吐逆をするとのなり。又、ゆるくゆ[結]はゆれば、臍帯うごきめぎれて、腫痛ものなり。とかく臍帯のとりあつかひに、うごかぬやうにするがよし。臍帯落ざる間は、下着にもひぼをつけず。何にても臍帯へさは[触]らぬやうにすべし。容易して臍帯より風が入り、甚しき者は、即時に臍風となり、さもなけ/れば、成長して病者なるものなり。慎むべし。」

⇒臍の緒のケアについて記載のある文章です。臍の緒は児の体内に直結しているため、慎重に扱うよう事細かに記載されています。臍の緒が湿った状態が続くと、菌が繁殖しやすくなり、感染による臍破傷風などの危険性が高まります。また、強制的に剥離させるのも感染の原因になるため、触らないように言及されています。

次は初誕編の後半です。

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